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執筆者の写真Himawari

一ヶ月のひとり旅。行った意味はあるのかと聞かれたら

更新日:10月9日














去年、ずっといきたかったヨーロッパに一ヶ月いってきた。





去年の日記




いつまでこんな休みもらえるかわからんからと今年も味を占めた次第である




今回はパリに到着して、マルセイユ

そのまま南へと進みバルセロナ、飛行機でロンドンのともだちに会いに行ってきて



そこからブーンと大好きなNYまで行ってしまったよ






19歳だった当時、私はここに住んでいた。



片道3万円もしない中国東方航空のチケットを発見。今行かないと行けない!と思ってそのままビザだけ取ってリュック一つでNYへ。



現地に行ってからお家を決めたりインターンしたり、勉強したり、今思うとなかなかの無計画。


でもそうじゃないと行けない気がして不安だった


無茶苦茶だから失敗もたくさんしたけどいつも周りの人が助けてくれた🥹そんな大人になりたいものです。



そんな方々のおかげもあり、私はNYが大好きになった。当時ここで生きていきたいと決めて、大学に進学することにした。スコアも取って渡米したものの、入学寸前にさまざまな問題が起きて帰国を余儀なくされた。それからの日本の生活で色んなことに向き合い、もがいた苦しい時期もあった。



それから時間が経ち、数年ぶりのNYだった。



そんな懐かしさや新しさ、様々な風景が入り混じった1ヶ月。


変わったこと、変わらなかったこと。新しい感情に出会い、忘れていたことを思い出し、また忘れてしまうのかなと切なくなった。さまざまな人生を観た一ヶ月、帰りの飛行機では言語化できない感情で涙が止まらなかった。周りから見たらなかなか感傷的すぎる。笑


マルセイユのキラキラな海も明け方のバス停も

コルビジェの建物もバルセロナのワインも

疎遠だったロンドンに住む従姉妹との再会も

飛行機に乗り遅れそうでチャリで滑走した深夜もNYのお姉ちゃんが作ってくれたお弁当の味も

新しい友達と遊んだチャイナタウンも、全部恋しい🖤


そんなそれぞれの場所によって感じた思いや出来事は全く違うので、それぞれの土地についてのことをマイペースにわけてゆるゆるに書こうとおもう。



てなわけで旅忘備録。しばしお付き合いくださいませฅ^•ω•^ฅ









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1ドル160円台まで遡っていた当時に購入したパリから成田までの往復チケットは84,000円だった。



私の特技は激安チケットを探すことである。


しかしスリランカで20時間のトランジットを要したり、ネットワークが使えなかったり、色々あるっちゃあるので、これができるかどうかは人による。


それに今回、何も決めないでチケットを買ったので結局ロンドンやらニューヨークやらいくと

それなりにかかったのか?と行ってからおもった。相場がわからん。



そうして1ヶ月休むと、給料は止まる。



よく耳にする円安は実際かなり痛かった。


そんなにお金があるわけでもないのに、

よく今年も行こうと思ったな。


多分これ、去年も思ってたな、とここまで来てから気づく。しかし、今年も来てしまった。

本当に計画性がないなとおもう。




でもそうでもしないとこんなところ、来れないから。笑





卑しい話はちょっとなと思って

お金の話はあまりしてこなかったけど

話してみよう。



実際は訪れる土地で様々な旅行サイトから一番安い順で調べる。



その中でまあまあ高評価なものをピックアップして総合的にみてきめている。



基本期待はしない。

だけど、安いのに綺麗だった時とかドミトリーの人がフレンドリーだと得した気分になる。



移動も基本的には長距離バス。



身体が小さく色々日本から持っていくと荷物になるので極力軽くしていく。服も少ない。



ドミトリーに着いたら荷物を下ろして、シャワー浴びたら適当なタンクトップとデニムに着替えて、サンダル引っ掛けてブラブラする。


コーヒー屋さんに入って無心で本を読んだり、これからのことについてボーッと考える。


夕方サクッと市場とか教会に入って、

帰りにスーパー寄って散歩して帰る。


時々ドミトリーの子と一緒にご飯食べて


疲れたらダラダラベッドでジブリ観る。



そんな適当な毎日である。








そうして今まで1人で色んな国に行ってきたけど、別に観光地を訪れたいわけでも、その土地のものを購入したいわけでもない。



溶け込んだ生活をすることで自分ではない誰かになった感覚が好きなのだ。








なんとなく時々、日本で当たり前だとされる大きな道に歩いていくことが、とてつもなく窮屈に感じることがある。



自分の居場所はどこにでもあるはずなのに、どこにもないように思うときがある。

ここじゃないどこかに行きたいなとおもう。



ヨーロッパにはたくさんの移民が存在しているから、私みたいなアジア人がいてもここの人だと間違われる。



道を聞かれたり、スペイン語やフランス語で話してくれることが、自分のことをアジア人であることや、旅行者であるという偏見を相手から感じさせないのも、なんだか心地がいい。



そうして日本から離れた知らない土地にきて、あの時の感情と向き合ったり、あの人のことを許せたり、やっぱり嫌だと思った自分も許せたり、帰りたくないと思ったり帰りたいと思ったり。そんな感情をただ、飛行機やバス、鉄道の窓からぼーっとみつめる。



そうしていると、少し前まで悶々としていた自分の気持ちも何かのパワーでゆるしてくれるようになっていくのだ。




なんだか、自分がコジコジみたいになってきた







そんなことを思っていた滞在中、知り合いに、俺も行きたいんだけど、お金がかかってもいく意味ある?と連絡が来た。



正直、そんなことは聞かれても知らんがな。

とおもった。でも、わかる(´・_・`)



そりゃあ、こうした視野を広げる行為が実際に生きやすくさせる直接的な理由にもならない。私もお金持ちじゃない。


世界の常識を知ることで日本での生活を息苦しくさせてきたことも今まであった。


だけどやっぱり来てみると、人生の中でこの感情を知ることができて、よかったなとおもう瞬間はたくさんある。



好きに流れを任せて行動したことで出逢えた人々が今の自分を解放してくれた。許せることも増えた。自分のこともね。それにその時じゃなくても、時間が経ってあのときの言葉や感情にふっと救われる事もあった。


悔しいことや心細さや孤独も含めて、何回行ったって、何回でも行きたい。

それは突拍子もなくNYに1人で行ったあの時から、何も変わってない。



他にもいっぱいあるよ。理由は書ききれない。

そんなのは必要な理由じゃないのかも。もはや、意味すら問いただしたくない自分がいる。でも、好きってそういうことじゃないの?



好きはみんな違うから、人から聞いてわかることなんて実際そんなにないとおもっている。



だから、聞かれてもそんなことはやはりわからない。結論もなければ、優しくなくてごめん。でも、わからないことは、自分でやってみる他ないと思うの。



結局正解なんてどこにもなくて、

今ある目の前のベストを進んでいく他、ないのである。



何もやりたくない時を知ってるから

やりたいと思える間はやっぱり楽しんだり、もがいていきたいのです。


やりたくない時は、何もしなくて良し!

タイミングはそれぞれ


そうやってきままにやっていきましょう。

またゆるゆるになってしまった!


まあいっか


♥️






Himawari

Instagram @hmwr3112





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