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自由な家族

執筆者の写真: HimawariHimawari

更新日:3月11日








来月、「突然だけどさ、来週から1年、アメリカに行ってくるね、だから家にいてよ、猫の世話よろしく。」と言っていた母が一時帰国で帰ってくる。



結局一年どころか、母親がアメリカに行ったのは、今年で二年目だ。おそらく来年もいるだろう。



母親はいつだって自由で、のびやかで、空気の中心にいた人だった。



父親や兄も負けじと変わり者。

漫画にしたら受けそうな奇想天外エピから

公に話してはいけないであろう、それでも知らなければ良かったなと思うこと、そして本当は誰かに聞いてほしかったことが、いままでにはある。



そんなふうに、いつでもどこかしらにヒビが入ってきた私たち。



バリバリに割れて、もうさすがに治せないんじゃない?ってときは何度もあった。



しかし、それらを誰も修復や捨てることもせず、「どうしたらいいかわかんないから、とりあえず袋に入れて置いておくか。」とクローゼットの奥の奥の方に置いたままにして、何事もなかったかのように過ごしてきた。



時が経ちそれらを思い出して、引き出してみると、まぁ案外これでも趣あるし、使えんじゃん?って、新シーズンみたいに、新たな家族の形が再開する。



そうやって私が子供の頃から今まで、彼らは社会のこうであるべき姿に属そうとはしなかったし、私にもそれらを強要することはほとんどなかった。



両親は夫婦で会社を経営しているけれど長年別居婚。



家族で食卓を囲んだ記憶はあんまりない。

学生の頃、授業参観や、運動会、音楽会といったイベントにも来たのは数回だった。



幼稚園の頃、出かけようとすると泣き叫ぶわたしがいたので、朝起きる前に早朝の飛行機でどこかに消えていくことが度々ある。



朝起きた時にいないと気づいた時の絶望感は今でも覚えてる。いつも明日こそ消えちゃうんじゃないか、そうしたらもう帰って来ないんじゃないかと、寝る前はいつも不安だった。



幼稚園のお迎えだっていつも本当に来てくれるか不安だった。

というか、母親は天然なので、お迎えを忘れる。笑



ある日、もっとふつうのお母さんみたいにしてよ。

と言ったことがある。



「ふつうのお母さんってなに?、みんなそれぞれの形があるよ。ひまわりの人生、好きに楽しく生きていいんだよ。母さんにも母さんの人生がある。母さんの時間のが短いし、好きなことさせて。自分たちの好きなように生きようよ」


と悲しい顔で言われたことがある。そのときに、自由を奪うことや、他力本願で生きようとすることを恥じるべき、と思わざるを得なかった。



愛されていなかったわけではもちろん、ない。ただ、それぞれの他のプライベートを優先しているからというシンプルな理由。


幼少期の頃から、価値観は多種多様であることが当たり前であるという考え方も母親から教わってきた。

私はそれを感謝している。


とはいいつつ。

私と同い年の子を持つ方が

自分の子どもの話をしたり

家族がなかよしという友だちの話を聞くと

少し心がギュッとして、なんだか

羨ましくて、苦しくなることも正直あった。



私は1人で世界中どこへでもいけるし

生活もできる。1人でご飯を食べるのも好き。



でもそれは、ただ、慣れただけなのか。

寂しい、と言うのが怖いのかもしれない。

だれかがいなくなる怖さを感じるから

1人でいた方が楽なのかもしれない。



以前、過去のリレーションシップが上手くいかなかった友人に新しい彼ができた。結婚するのかな。祝福をすると「愛される準備ができたから巡り会えたんだよ。」と言っていた。



なぜか、ぐさっと来た。



それでも。家族のせい、とか

あの時こうだったから、とかが言いたいのではない。

それに実際には普通の家庭なんてものは、

どこにもないようにおもう。

他人にはわからないようなその家だけの

約束事がある。みんな話さないし。


感じるのは

みんな、それぞれに、いろんな傷があって

いろんなバックグラウンドがある。


それでも、起き上がる人、愛や成長に変えることができる人はやっぱり魅力的だ。そういう人たちに感じる特有の雰囲気があるように思う。


傷付かずに生きていきたいと思いながらも

そういう人をみているとどうも傷付いてきた経験、全てが要らないものだったとは思えないのだ。


それなら、私もせっかくならって、

楽しく過ごしたいとおもいますゆえ。

結局、笑ってるほうがいいよ。


もう、どうでもいいやと思って

落ちていくのって、気を抜いたらあっという間だから怖いんだけどね。


実際に家族や自分を傷つけてしまった時期が、私にもある。


誰かや何かのせいにすることもできる。時にはそれが自分には必要で、何かの助けにもなったこともある。でも結局、自分のことは自分でしか幸せにできないって、ようやくわかった。


だから、それぞれ楽しく生きれるなら、それがいいと、ようやく思えるようになった。


母よ、好きなだけアメリカにいて

好きな風に生きてくれ。


私の母親である前に

ひとりの人ですよね。


私も、そう。

突然とんちんかんなこと言うだろうし。笑


もしなにか困ったらそれぞれにとって

ベストな案をその都度考えればいい。


神さま、図々しくならないように努めますので

優しい毎日を続けられますように


さっきと言ってること矛盾してるやないか


読む人がいないかもしれないこの場所でひそひそ赤裸々記録。急に終わります笑


読んでくれたらありがとう❤️





Essay @hmwr3112


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