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生きるって、なんだろう。

  • 執筆者の写真: Kanae
    Kanae
  • 4月7日
  • 読了時間: 3分




元同僚が亡くなった。


理由は自殺だった。


詳しいことは分からない。だけど、もうこれからはずっと会えない、ということだけは確かだった。


それは、想像していたよりも現実味がなくて、私にはまだ、それをうまく表す言葉が見つからない。


「悲しい」という一言で片付けるのは、きっと簡単なんだと思う。

でも、心の奥に残ったこの気持ちは、そんなに単純じゃない。


おじいちゃんが亡くなったときは、ゴールテープを切ったような、そんな感覚だった。

ガンとの闘病生活を経て、人生という長いマラソンを走り切ったんだと、少しだけ納得できた。


だけど、同世代の友人を失うというのは、

まるで、ずっと頭上にあって当たり前だった蛍光灯が、突然、パチンと音を立てて切れてしまうような感じだった。


そこにあるはずだったものが、ふいに消えて、

そして、あった時には気づかなかったその存在の大きさに、今さら気づかされる。


彼女が何を抱えていたのか、私には分からない。

探ろうとも思わないけれど、彼女の死をきっかけに、「生きること」や「生きることを辞めること」について、考えずにはいられなかった。


はっきり「友達」と呼べるほど近い関係ではなかったけれど、年に数回、顔を合わせる仲だった。

私の中の彼女の印象は、明るくて、楽しいことが大好きで、少し突発的で、パーティを主催するようなエネルギッシュな人だった。

友達も多くて、彼氏も優しそうで、仕事も順調そうで―すべてがうまくいっているように見えた。


悩みがあったのかどうかさえ、私には分からない。

でも、きっとあの笑顔の裏に、誰にも見せないものを抱えていたのだと思う。


生きるって、なんだろう。

自分に対して諦めないことなのか。

それとも、生きることに意味を探し続けることなのか。


毎日が、絶え間なく押し寄せてくる中で、

私たちはどうやって朝を迎えれば、生きることをあきらめずにいられるんだろう。


私は、今まで一度も「死にたい」と思ったことはない。

でも、メンタルヘルスのコミュニティをつくりたいと思ったのは、

きっと、そう思ってしまう人を一人でも減らしたいと思ったからだ。

「大丈夫だよ」と言葉にして、心に栄養を届けたいと願ったからだ。


誰かを完全に救えるようなスーパーヒーローには、きっとなれない。

だけど、隣にいる誰かを、ふと立ち止まらせるくらいの力なら、きっと誰にでもあると信じてる。

私は、そのちいさな力をできるだけたくさん使って、生きていきたい。


人は一人では生きていけないし、

誰かと一緒にいても寂しさを感じることはある。

誰かと一緒にいるからこそ、傷つくことだって、たくさんある。


それでも、この広い世界のどこかには、きっと、自分の居場所があって、

分かち合える感情が、必ずある。


忘れないでほしい。


答えなんて、見つからない。

救えたかもしれないし、救ってほしいなんて思っていなかったのかもしれない。


今、私が感じているこの悲しみは、無意味じゃない。

だけど、生きている間に、もっとたくさん「ありがとう」とか「頑張ってるね」って言えたらよかった。

たとえそれで何かが変わらなかったとしても、

もっとできたことがあったかもしれないと思う。


残された私たちにできることは、

きっと、残された私たち同士で、寄り添いあうことだと思う。


私は、私の手の届く範囲で、手を差し伸べていきたい。

もし今、これを読んでいるあなたが苦しいなら、どうか一人で抱え込まないで。


いつでも、「紡」のDMに話しかけてください。

私たちは特別な誰かではないけれど、あなたとつながりたいと願っています。


車道の脇にそっと咲く花のように、

あなたの毎日を見守る存在でいられるように。


エバリーナ、生きている間に貴方の苦しみに気づけなくてごめんなさい。

天国で、またパーティのお誘い、待ってるね。



@kanaesawaguchi

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